ふっとぼーるめもりー

主にフットボールについて。たまにメンタル系。

カルチョビットの元ネタ選手について(パンチェッタ編)

パンチェッタ

イタリア料理に使う塩漬けにした豚バラ肉。

このためイタリアのチームだと考えられる。

 

選手

グフォン(ジャンルイジ ブッフォン)

トッタルド(フランチェスコ トルド)

マメリヤ(マルコ アメーリア)

 

トッタルド(トルド)のみ若干年代が違うが名前が似ている選手がトルドぐらいしかいないのでトルドにした。

他の選手は2006年のワールドカップのメンバー。

 

カバネロ(ファビオ カンナヴァーロ)

マルチーズ(マルコ マテラッツィ)

ザンブロック(ジャンルカ ザンブロッタ)

カテラッチ(クリスティアン パヌッチ)

ゴラッソ(ファビオ グロッソ)

 

ピロロ(アンドレピルロ)

モレッティ(クリスティアン ザネッティ)

ガッツー(ジェンナーロ ガットゥーゾ)

ダニデロ(アンジェロ パロンボ)

 

ピポー(フィリッポ インザーギ)

トルカ(ルカ トーニorフランチェスコ トッティ)

ボリエル(マルコ ボリエッロ)

 

インザーギのニックネームがピッポのためピポーにしたと思われる。

トルカは2通り考えられるが恐らくトッティなのではないか。

ボリエルに関しては名前が似ている選手がボリエッロぐらいしかいないので、ボリエッロになった。

 

参考文献

wikipedia

transfermarkt

サッカーメディアについて思ったこと。

軽く書いてみます。

 

私は無駄に情報を誇張したり、見出しをセンセーショナルなものにすることにより読ませるメディアがあまり好きではありません。

あくまでも正しい情報を得たいために記事を読みたいというのが私のスタイルです。

 

メディアというものは需要が必須です。需要がなければ廃れてしまいます。

…人によっては必要ではないメディアも他の人には必要とされているということです。

The Sunというメディアがあります。これが未だに存在するのも需要があるから、です。

 

正しい情報を得たい人もいれば、娯楽として楽しみたい人もいるのです。

さまざまなメディアが存在する今、私たちには必要な情報を見極める力が必要とされている。そのように感じます。

 

短いですがこれで。

 

カルチョビットとの出会い、それから

どうもお久しぶりです

今回は私のルーツ的なものについて書いていきます

 

カルチョビットとの出会い

私は昔野球少年でした。

そんな私がサッカーと出会ったきっかけ、それがカルチョビットなのです

 

出会いは体験版でした。独特なシステム、そしてドッドのかわいい選手達、すっかりはまってしまい徹夜してしまうこともしばしば…

すぐに体験版の制限である2年目を迎えてしまいました。

続きは製品版で!というお決まりのあの文…。

 

すっかりハマっていた私は誕生日に電気屋に連れていってもらいカルチョビットを手にしたのです。

 

そこからでした。私が現実のサッカーにも興味を持ち出したのは…。

新聞のサッカー関連の記事を切り抜いたり、サッカーの雑誌を買ったり…。

2014のワールドカップもあったこともあり、私はサッカーの虜になっていきます…。

 

 

多分続く。

 

ベルギー2部についての簡単な解説?

ベルギー2部 通称 Proximus Leagueは2016年に創設された

それ以前はBelgian Second Divisionが存在し1909年から2016年まで存在していた

参加チーム数は現在8チーム

レギュラーシーズンで優勝したチーム、2位~4位と1部15位の4チームでトーナメントを開催(H&Aの総当たり戦)、そのPOで優勝したチームが昇格する

 

2019-20シーズンはヴィルトン、ルーセラーレが3部へ降格。ベールスホットとルーヴェンが昇格。

ロケレンは経営難により消滅し、後継クラブは4部リーグに配置されることになった。

 

2020-21シーズン参加チーム

 

クラブNXT

クラブブルッヘのリザーブチーム

1部に昇格はできないが2部から降格することもできない

 

KMSKダインぜ(3部から昇格)

ベネズエラ代表のロナルド バルガスが所属している

 

リールセ ケンペンゾーネン

川島がかつて所属していた

 

ロンメルSK

2020年5月にシティフットボールグループによって買収された

 

RWDモレンベーグ

バチュアイとヤヌザイはこのチームのアカデミー出身

 

RFCセラング

2019-20シーズンは3部で優勝した

 

ユニオン サンギロワーズ

チェルシー保有するチャーリー ブラウンやアレックス コクランなどが在籍している

 

KVCウェステルロー

208㎝のクリストフ ファン フートが在籍している

 

参考文献

en.wikipedia.org

en.wikipedia.org

台湾代表についてのざっくりした説明みたいななにか

台湾代表についてざっくりと

 

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中華民国サッカー協会は1923年に設立されFIFAには1931年、AFCには1955年に加盟した。

1960年のアジアカップで3位に輝くもチームのメンバーのほとんどが香港出身の選手だった。

2017年にゲイリーホワイト(元東京ヴェルディ監督)氏が監督に就任。ホワイト氏はチーム強化の為に積極的に外国出身の台湾人選手の引き入れを行った。

 

台湾代表の海外生まれの選手たち

 

ウィル ドンキン(スターベク)(ノルウェー一部)

台湾の久保建英と私が(勝手に)呼んでいる選手。イギリス、オックスフォード生まれ。

バーネット、チェルシークリスタルパレスのユースでキャリアを過ごし、現在はノルウェーのスターベクでプレーしている。

2017年に代表初招集。現在まで主力として活躍している。

 https://www.youtube.com/watch?v=xJMmJHNUwkI

 

ティム チョウ(河南建業)(中国一部)

イギリス、ウィガン生まれ。ウィガンユース出身で2019年より中国スーパーリーグの河南でプレーしている。イングランドのMFらしくミドルシュートは強烈。

 https://www.youtube.com/watch?v=c4tPYaDJdOE

 

エミリオ エステベス(ヨーク9→ADO)(オランダ一部)

スペイン人の父と台湾人の母との間にカナダのトロントで生まれた。その為カナダ、スペイン、台湾の代表資格があった。

2019年に代表デビュー。今オフ、オランダ一部のADOに移籍。さらなる活躍に期待。

 https://www.youtube.com/watch?v=eoYgl4906bc

 

ヤーキー イェン(青島黄海)(中国一部)

台湾人の父とスペイン人の母との間にスペインのプエルトデルロサリオで生まれた。セグンダBのチームでデビューするもなかなか活躍はできず。2015年に代表初招集。当時の代表監督との意見の相違により、しばらくは代表から離れていたが、監督が変わると復帰を果たした。

 https://www.youtube.com/watch?v=EcRT7g5XwvI

 

オヌル ドガン(北市大同)(台湾一部)

トルコ生まれで2009年に台湾へ。2014年には台湾の市民権を習得。台湾代表入りを果たした。台湾代表初の帰化選手である。現在は、結婚相手の台湾人女性との間に子供を授かるなど充実の時を過ごしている。

https://www.youtube.com/watch?v=8e6dqeIPles

パプアニューギニアサッカーについてのなにか

パプアニューギニアサッカー協会は1962年に設立され、1966年にFIFA、OFCに加盟した。

代表チームのFIFAランキングは165位(2020年7月16日)

2016年のOFCネイションズカップでは準優勝に輝き、これが国際大会の最高成績となっている

クラブレベルでへカリユナイテッドが2010年のクラブワールドカップに出場している(結果は初戦敗退)

 

主な代表選手

アルウィンコロモング(Alwin Komolong)

2014年にはヴェルダーブレーメンの練習に参加するなど10代の時から将来性が期待されていた。一時的に国内リーグのチームに所属していたがMLSでプレーするためにアメリカの大学へ進学。

2017年からはドイツ下部のシュトゥットガルトキッカーズ、フォルトゥナケルンでプレーしていたが契約満了。

ヨーロッパでのプレーを模索していたが国内の強豪ラエシティと契約を結んだ。

弟のフェリックスコモロング(Felix Komolong)も代表選手でありポジションもCBと同じ。代表チームではコンビを組むこともある。

https://footballoceania.com/2018/08/20/interview-alwin-komolong-on-his-time-in-germany-and-staying-in-europe/

2018年のインタビュー記事ではヨーロッパでプレーしたい、やオセアニアパプアニューギニアに戻ることは敗北、と語っている。

将来的な海外再挑戦も?

 

マイケルフォスター(Michael Foster)

代表最多出場記録を持つキャプテン。

2003年には17歳で代表入りを果たすも2011年まで代表の試合に出場することはなかった。

現在も代表の中軸として活躍し続けている。

 

デイヴィッドブラウン(David Browne)

16歳でオークランドシティに加入。OCLで活躍を見せクラブワールドカップ出場に貢献した。

2015年からはズウォレ、フローニンヘンでプレー。しかし試合に出場することは少なく2018年にはオークランドに復帰。

しかし海外志望は強く2020年1月フィンランドの強豪HJKヘルシンキへ移籍した。

決定力はそれほどあるわけではないが足元のテクニックは素晴らしく、主にWGで起用されることが多い。

(一押しの選手の一人)